ワニ2

ワニ2

ワニが死んでからの怒涛のマーケティング展開に驚嘆したのは昨日も書いた通りで、個人的にはワニが死んだ瞬間に「映画化決定!ポップアップストア出すよ!いきものがかりとの曲聴いて!」ってやんのは正直あんまり品がないなあと思っているんだけど、そういう奴らはそもそもこのマーケティングのターゲットにはなっていないので安心していい。どうせ俺たちはロフトの100ワニポップアップストアには行かないのだ(繰り返すが書籍は買う)。

一般にはきっと、たとえば大好きな映画を見終わってすぐ、エンドロールよりも先に「(ドン!!)続編制作決定」「みんなの大好きな仲間たちの世界はまだ続くよ!」みたいなの対して喜ぶ人たちの方が多いんだろうなという気がしている。俺みたいなのがぐちゃぐちゃ言ってるのも「小難しいこと考えてないで素直に喜びなよ」みたいな感じで来られたりする。ある意味ではかなり現実的だし、最近ではそういう人たちのことを「安心したい層」って感じだなと思っていて、100日目にワニが(ある種サクッと、潔く)死んで物語が美しく終わることより、ワニが死なずに99日目までと同じ日常がこの先もだらだら続いてほしい層がいるイメージで、そういうタイプの人たちがターゲットなら情報開示は一刻も早い方がいい。何しろ彼ら彼女らは飽きが早い。余韻とは火が消えた後の温かみを楽しむ行為であって、この場合は火を消さずに連続的な消費に落とし込んだ方がいい。

生まれて初めて「物語が死で美しく終わることの重要性」を感じたのは真島ヒロの漫画『RAVE』の最後だった。当時の俺は完全に安心したい層だったので、最後主人公を守って死んでいく父親を見て「作者はなんてひどいことをするんだ…」と思っていたのだが、あとがきで作者が「父の死で綺麗に終わらせることができた」ようなことを書いていて、子供ながらにそういうもんか…と思った覚えがある。