時をかける暴挙

他人より短い僕の寿命で将来の世界がどうなっているのかを知る方法について考えると、とりあえずは「タイムマシンは実現するだろうか」という議論を一旦経由することになる。そしてふと思ったことには、「タイムマシンが実現していたら今の瞬間にも未来から人が来ているはずである」という主張には大きな勘違いがあるのでないか。

冷静に考えてみればわかることだが、この主張は「ある時点から未来方向へ移動することと過去方向へ移動することはタイムマシンという同一のテクノロジーによって実現可能である」という仮定のもとに展開される。

これはたとえばワームホールを通って物理的に移動することにより任意の時空に辿り着くようなことを考えればそうかもしれない。しかし、現在からみた相対的な未来と相対的な過去は全く異なるものであることを考えると、その移動手段が同一とは考えにくい。確定した過去へと事象を巻き戻すことと、未定の将来へと世界を早送りすること、どちらが簡単かといえば、これは明らかに未来に移動することになる。なぜなら、僕らは何もせずとも今この瞬間にも無意識に未来へは進んでいるが、過去に移動することは一度だってできていないからである。時間の進行が熱の移動によって発生することを考えると(特に、熱によって不可塑的な変化を起こす物質はたくさんあるわけで)、それはどう考えても不可逆的な動きだろうし、ということは過去に移動することの方がよほど困難なのではないかと思ってしまう。

一方で、僕らはほかっておいても未来の方向には(普通に暮らしている上ではその速度の変化が無視できるほど小さな分散に収まるという意味での定速で)進んでいるわけなので、その進行速度を変えることによって他人より先んじて未来に移動することは当たり前のように発生しているわけだ。それは現に、相対性理論において移動速度が上昇することにより時間の進行が遅くなることが示されている通りで、僕らはとんでもない速度で移動することにより、自分の経験時間よりも長い時間が経過した世界(=未来)に合流することになる。つまり未来方向への無自覚的なタイムトラベルは非常に僅少ながら実現しているといっても過言ではない。また、僕らは個々人でその主体的な経験時間は生まれたその瞬間から互いに異なっているが、あくまでも社会生活のため便宜的に、標準時による絶対的な時間を与えられている。これは”地球の経験時間”とでも呼べるのかもしれない。しかし、僕らがスカイツリーの展望台からこの世界を24時間眺めたのち地表に帰ってきたとき、僕らは自分の経験時間からおよそ10億分の4秒ズレた世界(=過去)に合流する。ここでいう過去というのは,出発時点の”現在”からすれば未来である一方で、帰着時点の”現在”からみればれっきとした過去である。他人より長い時間を経験しつつ他人と同じ未来に合流するというのは、ある意味では「精神と時の部屋」の性質に近い。

というか、未来方向への先んじた移動、あるいは進行速度を落とすという点では、タイムマシンなんて言い方をしなくとも実際的には日常的に行われていることも忘れてはいけない。冷凍保存とは熱の移動をなるべく停止させることであって、僕らは日常的に過去の資源を将来時点で取り出している。これをタイムマシンと呼ばずしてなんと呼ぶべきか。

つまるところ、凍らせた豚肉を解凍して調理に使うことはできても、加熱したゆで卵を生卵に戻すことは容易ではない。それが未来と過去それぞれへ移動することの根本的な差であるように思う。

余談

ドクター・ストレンジのマルチバース・オブ・マッドネスの表現のなかでかなり悪手だと思ったのは、どこのユニバース(multiがそれぞれのuniの集合として構成されているのかどうかは少し疑わしいので、ここではユニバースを”セカイ”と呼ぶ)にも、正義であれ悪であれストレンジやワンダが存在する前提になっていることだった。これはどう考えてもおかしい。普通に考えたら、人間が社会を築いている”セカイ”なんて確率的には奇跡に等しいはずで、たとえば生物が一切発生していない”セカイ”とか、なんなら地球すらできていない”セカイ”まで含めて、とんでもなく多様な”セカイ”が発生しているはずなのに。

前に書いた通り、僕自身、世界を司るハイパーパラメーターとランダムネスに任せて並行する多様な”セカイ”を構築しては比較し消し去ることを繰り返している身として、元の”セカイ”がアース616で、探索する先の”セカイ”がアース838みたいな小さなオーダーになっていることには強い違和感がある。乱数シードの設定が甘いよ。そんな探索じゃ局所最適から抜け出せねえよ(まあシードが狭いレンジに収まっていることがどの程度問題なのかは実際のところ検証の余地があるけど)。

まだ付け加えるなら、このアースXXXっていうprefix側にしたって、これはどこの世界にもEarthが存在する前提の表現であるわけだし、それも残念なんだよな。量子物理学とかいいながらここを天文学的数字にしなかったのはかなり痛い。

「量子物理学を創作だと感じるのはヒーロー映画のせいかも。説明できない科学を”量子物理学”という言葉でごまかしているからです。」

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