哲学

巨人の肩の上で頭を下げる日々

人々はこういうのをnoteに書くのが流行っているんだけど、なぜ俺だけ自分のブログに書いているんだろう。noteには耳管開放症関連の記事をいくつか書いていてあれは定期的に売れているのだけれど、売れるたびに「金を出すに値する価値のある文章なのだろうか…」と自問自答の末に記事を消す寸前までいく。文章でお金を稼ぐのは俺には向いていない。

巨人の肩の上で平身低頭

ニュートンも、そしてGoogle Scholarのトップページにしても常に

If I have seen further it is by standing on yᵉ sholders of Giants.

Stand on the shoulders of giants

と言っている通り、何事も歴史の中での先人の積み上げがあるからこそ成立するわけなのだが、しかし一つ前の投稿も含め僕は哲学っぽい話をするときには大抵ここまでに積み上げられてきた議論を全然読まない傾向がある。一から自分で考えているから積み上げがこんなに遅い。だからダメなんだなーとかずっと考えていたのだが、先日千葉雅也先生が

と言っていた。僕は哲学者ではないのだけれど、この辺りの議論に関しても自分の経験と内省に基づいてゆっくりやっていけばいいのかなという気になってきた。