生活

情報の消費形態のストック型からフロー型への回帰

何年か前にテレビ局でプレゼンさせていただいた際に、

1 テレビはフロー型、ネットはストック型のメディアなのでそもそも消費の形態が全く異なる

2 テレビは情報それ自体で価値を提供するが、ネットは情報を所与としてその提供方法(=利便性)で価値を提供する

という2点を挙げた。

1については、テレビはその場で映像を視聴し消費するが、ネットは情報が蓄積されるに過ぎず人々はそれを自ら探索して消費する、という意味でそう述べた。2で言い換えるならば、ネットでプラットフォーマーが利鞘の大部分を握るのはすでに明らかだが、それは情報自体の提供ではなく価値の需要・供給の仲介の場を作ることが価値創造の源泉だからだ。だからネットではあらゆる貴重な情報がどんどん無償で(あるいは不正に)コンテンツ化されようとするわけだ。そこでは情報はコンテンツにすぎず、コンテンツには価値がないようにすら見えてしまう。

しかし最近では1の様相が変わってきたように思う。それはひとえにInstagramのストーリー機能の流行に思うところなのだが、例えばsnapchat(日本ではインスタストーリーがその役割を担っている)に端を発する「消えるメディア」の流行というのは、そもそもネットが志していライフログのような「すべてをデータ化し蓄積する」考え方とは対極をなす。

これに関して、ストック型メディアが潜在的に抱えるリスクとして「蓄積された情報(今では意識していない過去のどうでもいい投稿)が突然掘り返されて炎上することがある」というのが露呈しつつある中で、あらゆる情報が蓄積されることへの忌避(=いちいち細かいどうでもいい投稿にまで炎上リスクを考えなければいけないことへの疲労)があるような気がしてきた。それは単なる「ネット投稿に気をつければいい」とかいうような話ではなく、社会全体の意識の変容がかなり早くなっている中で、過去から現在までのポリコレと未来永劫に渉るその変化に気を配ることなど単純に不可能なのだ。10年後には本当に食肉がなくなり肉を食べる投稿だけで稀代の悪人と見做されるようになっているかもしれない。

正直僕自身もどうでもいい投稿がいちいちネットの海に埋まるのが面倒で最近はtwitterよりもストーリーを使うことが圧倒的に増えたし、なんだったらtwitterも数時間で投稿内容が消える仕様になってほしい(だから定期的に消しているのだが)。よく政治家やメディアの人間が現在の発言と真逆の内容を過去のSNS投稿で発信しているのを掘り返されて「ブーメランwww」となっているが、あれも正直ある程度は仕方がないような気もする。人間には自身の発言に長いスパンでの一貫性を担保するような機能は備わっていないのではないか。まあ政治家はここで言っているような考えなしの軽率な投稿はすべきではないのだが。

(もっというとオンラインサロンに代表されるクローズドな情報共有の場も増えてきた上に、ウェブにおける広告の限界という意味で2も変容しているのだが、これらはまた別の場で考える。)

で、そういう風にコンテンツ消費の方法が変わってきた中で、情報の利用方法もその流れの中で変化してきたように思う。これは政府のいうSociety 5.0にも通ずるところだが、(あくまで消費側の話だが)データもPCやスマホといったデバイスに蓄積することで大事に保有しておくというよりは、たとえ同じデータがパソコンの中の何処かには入っているかもしれないが、探すのが面倒なのでもう一度Gmailやウェブサイトを開いて同じファイルをダウンロードする、あるいはSiriやAlexaに「気になるたびに何度でも」同じ情報を請求する、とかというように、明らかにフロー型に変化してきている。

陳腐な表現をするならばクラウドやAIによるところだが、テレビからネットに移行したタイミングでフロー型からストック型に変化した消費が、クラウドとAIで再びフロー型に回帰してきている。つまるところ、(必要なタイミングに必要な方法で必要な)情報を適切に得られるという保証があれば、情報は実はフロー型で消費する方が効率的なのだろうなと思い始めた。これまではその実現が難しかったからこそ各自が大容量のデバイスを持ってすべてを保有しようとしていた。言い換えればインフラ側ではより一層ストック型としてあらゆる情報を蓄積し整理し加工し求められる形式で瞬時に提供することの必要性が高まっているとも言える。

…まあそうやってすべてのコンテンツが必要なタイミングで提供されるものと思い込んでいざ保有をやめると、突如として好きな楽曲がApple Musicから削除されて聞けなくなったりするのだが。だから本当に必要なものは正しく手元に残しておくことも必要だとは思うのだが。