モンスター人間 vs. 人間型ロボット

なんか論文が海外誌にAcceptされたり自分のアルバムがリリースできそうだったりと、とにかく数ヶ月ぐらいバタバタしてたのでブログまったく書けてなかった。

人間は、相手が人間でない(=迷惑がかからない)とわかると恐ろしく残酷になることがある。それは過去のいくつかの研究やロボット開発などの事例でも明らかになっていることで、ゴミ拾いロボットを作っても、生身の人間ではなくロボットが掃除をしているとわかれば我々は今よりもっとカジュアルにポイ捨てするようになる。これは、家の中で「どうせルンバにすぐ掃除させるから」とお菓子のカスを床に捨てることとも同じ。僕らの倫理観なんていうのは、僕らが思っているよりずっと脆く儚い。

ぼくは今、学内の季刊誌に載せる記事を書いている。ぼくはもともと文章を書くのが好きな人間なので(好きじゃなかったらこんな愚かなブログは絶対に続けていないだろう)、ChatGPTはちょっとしたアイデア出しと校正に使うことが多い。とはいえChatGPTの校正作業は、さながらNHKのニュースの口調のごとく文章から個性を根こそぎ拭い去るので、全部には従わない。

するとこういうことになる。

詰めてるみたいで(詰めてるんだけど)少し悲しくなってきた。

こういうところでロボット相手にすら残酷になりきれないのは「平均的な人間性」のもつ最大の弱点だと思う。その辺は『僕らはいつか人間性に呑まれて』に書いてます。

まあこの記事自体はたぶん10月ぐらいに経営学部の季刊誌で読めるので(フィジカル本の頒布のみ)、ぼくがChatGPTと大喧嘩しながら書いたのがどんなもんか、学内者の皆さまはぜひ読んでみてください。