誰がために鐘は鳴る

(これはイマジナリーフレンドの行動を眺めながら綴った思考実験です)

今池のファミレスで珈琲を飲みながら原稿を書いていたらいつのまにか32歳になっていた。この時間ともなれば公共交通機関などという社会福祉はとうに機能しておらず、自宅まで3駅歩きながらこれを書いている。その幼稚さはもしかすると実年齢22歳の間違いかもしれないし、あるいは精神構造が10年間進歩していないのかもしれない。

ここ数週間の行動に対して、大人の飲み方を覚えた方がいいという趣旨のジェントルリマインダーを複数いただく。何事も言われるうちが華である。もちろん合法的に酒を飲んでいる時点で大人ではあるのだが、やっていることが高校生のファミレス打ち上げと大差ないと言われれば返す言葉はない。

一般にいう”大人になる”とは、ある意味で野生性(つまり動物のそれと大差ない程度の行動水準)を捨てることと同義であるように思う。ただ、彼らが加入を強いるその集合において、同化とは”ごく表層的”な社会道徳の死守に過ぎないことに留意しておく必要がある。わざわざ”ごく表層的”な死守と書いたのは、実際的に社会道徳を守っているかどうかには彼ら彼女ら自身すら驚くほど関心を持っていないことを意味する。

では本質的には全くの無関心であるにもかかわらず、なぜそうまでして自身が野生性をとうの昔に放棄し(ているように見せ)、なおかつ形式的道徳性を備え(ているように見せ)ることに拘るのか。それは多くの場合に、形式的道徳性の保持は社会的に望ましい(socially desirable)はずであるという信条がゆえのものであり、つまりは――道徳の死守という表面的な行動とは裏腹に――驚くほど純粋な利己を志向している。もちろんそれが悪いとはいわないが、少なくとも彼ら彼女らは一体どういうつもりで僕に道徳を説いてくるのだろうとは思ってしまう。

野生性を放棄したように見せる、つまり野生性によらない態度というものをより正確に表現するなら、大人になるというより”人間になる”ことに近い。自身が野生性以上の余剰(フーコーのいうところの「人間の過剰性」、つまりは僕らの中にある”人間”の部分)に従って行動していることを示す、言い換えると自身に社会性が伴っていることを周知するための態度だといえる。現代社会においてそれが利己につながることはいうまでもないが、言及すべきことはそれだけでなく、野生性を本当に放棄したかどうかは実はさほど問題ではないという点もある。場合によってはいつか使うべく大切に秘匿されているのかもしれないし、意図せぬ露呈により他者からの評価が変更されることもあるのかもしれない。知らんけど。少なくとも、自身の像を社会的望ましさ(social desirability)に従って歪めるその戦略の成功度合いと、その人物が現在どの程度の野生性を保持しているかには――歪めているんだから当たり前だが――大きな乖離がある場合も多いのだろうということだけはわかる。その辺りは前に書いたような気がする。

“清潔感のある短髪に綺麗なスーツと磨かれた革靴で、人間的にはかなりまともに見える。いかにもビジネス現場で活躍していそうだし、優しくて良い人っぽい感じもする。しかし、僕はそこにこそ何か得体の知れないおぞましさみたいなものがあるような気がしてならない。[中略] 正直なところ、その表面上の清潔感が多かれ少なかれ中身のグロテスクさを押さえ込み、綺麗に覆い隠していることは否定できないと思う。(抑圧の奥に潜む怪物を垣間見るとき)”

正直なところ30歳を超えたあたりから「人がこわい」とは極力言わない様にしていたが(30超えてコミュ障キャラを続けるのはそれはそれでつらいものがある)、ここ数週間で、なぜ人が怖いと感じるのかを久しぶりに思い出した。簡単な話、社会道徳を非常に表層的なレベルでのみ守っている人々が、社会道徳を非常に表層的なレベルでのみ破っている僕を見るときの目にはなかなかにおぞましいものがあるが、表層しか守っていないくせになぜそんな目をすることができるのか、その目の奥に滲む野生性が怖いのだ。俺は人が怖い。ぐんぴぃが自身の苦悩に起因して「あなたの考えなくて済むところまで考えてるだけ」といったのは、人の苦悩の重みを本当に綺麗に言語化していると思う。僕はモノを考えることをもう自分のアイデンティティに据えたが、そもそもモノを考え始めたのはこのためだった。

決して勘違いしないでほしいこととして、この文章のなかで僕は一瞬たりとも滅私を嗤ってはいないし、他者の滅私と相対化することで自身の自由を誇示してもいない。僕が本当に怖いのは家族や公共といった滅私への擬態(それは世の中の言葉でしばしば「偽善」と呼ばれる)である。その擬態の元となる純然たる野生的な欲望が垣間見える瞬間に強い恐怖を覚える。つまり俺は野生性から程遠く、だからそれを演じているわけだ。今それはいい。

あと新曲が出ました。