模倣、そして分化。

ChatGPTにせよDeepLにせよ、あのあたりの自然言語系の生成モデルの出力を見ていると、文章の中にいろいろな人格がごちゃごちゃに混ざっているのが垣間見える時がある。それはもちろん、たとえば論文ひとつ書くにしたってそれぞれの人間のスタイルというものがあるわけで、それをかき集めて学習していくとそういうことが起きるのも致し方ないわけだけど、どこかキメラでも見せられているような不気味さを感じることがある。

もちろん人間の”部分”(あるいは過程)の寄せ集めに過ぎないそれらが人間になれるはずもなく、「人間らしさの断片を寄せ集めたところで人間らしくなるわけではない」(機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる)という言葉がぶっ刺さる。

ただ、それはAIに限ったことではない。たとえば、帰属意識を示すべく、犬が仕草によりあるいはオウムが発話により人間性の表層をなぞるとき、我々はその不完全さを笑う。それに近いものがある。犬が人と並んでヨガのポーズらしき体勢をとる様子は愛らしいが、それらの模倣がもう少し不気味の谷に近かったら我々はこんなに動物を愛玩しなかっただろうし、愛玩動物は庇護されるべき愚かさを獲得することで種を継続している。他者を支配したい人間の欲求にうまく乗っかっているともいえる。

そして何より人間もそう。まさにそれらAIの学習の過程と同様に、我々人間も発達の過程は他者の部分的な模倣と寄せ集めから始まる。その模倣は発達とともに巧みになっていき、次第に多くの人間が”人間”を演じられるようになるわけだが、そうなると、僕らはいつ他者から分化し、独立した”人間の総和”になったのか(なるのか)という問題につながっていく。

つまるところこれはAIとか以前に発達心理学の問題であり、人間の分化のメカニズムも分からないのにAIのその先など分かるはずもないという話になる。次に何を読むべきか見えてきた。