承認欲求とかいうお手軽すぎる概念

僕はかねてより、現代の大学生たちが承認欲求に関する議論を研究課題にしたがることにある程度強い抵抗感を抱いている。もちろん僕自身心理学は専門ではないけど、ただ、マーケティングという分野上、SNS等の具体的な製品・サービスの利用行動を心理学等の概念から説明しようという学生の研究には本当に頻繁に遭遇する。よって、自分のゼミ生がマーケティングに絡めてその辺の話をしようとするなら、かなり色々と考えてもらわなければならないなと思っている。

このような懸念は、第一には、マズローの欲求5段階説がもはやアカデミックなフィールドにおいて必ずしもメジャーなフレームワークの位置にいないこともその理由として挙げられる。人々は、あのフレームワークがもはやメジャーではないという事実からなんとなく目を背けつつ、承認欲求の議論のみを掘り下げたがるきらいがある。なぜなら、(第一には心理学を専門的に学んできたわけではないからこそだが、)承認欲求という概念の他に都合よく使えそうな概念を知らないから。僕はいつだってそこにひどく”嫌な感じ”を受ける。

ただ、仮にマズローのそれがまだメジャーであったとしてもなお,僕の懸念は全く払拭されないだろうと思う。それは、そこで示されている「他者から承認されたい」という欲求と、「SNSにおいてフォロワー数を自慢したり、バズったりしたい」という欲求が本当に同一なのだろうかという疑問が拭いきれないから。理論的に示された概念がそのまま実行動に応用可能だなんてもちろん思ってはいないけど、それを考慮してもなおそれら利用行動の承認欲求による説明可能性は割と低いのではないかという漠然としたお気持ちのようなものはある。

そもそも承認欲求なんていうのは、その定義からもある程度高次の概念だろうし、そんな複雑な欲求がいきなり成立するとは思えない。というのは、マズローが欲求を階層的に整理したそれとしてではなく、より低次の基礎的な概念の組み合わせとして表現できるのではないのかという話。たとえば人間の性格を五大因子(誠実性、外向性…)の組み合わせとして表現するBig Fiveがそうであるように、承認欲求もより低次の因子(subscales)の組み合わせとして説明可能なはずで、その分解なしにさらに高次の(より具体的な欲求としての)SNSでどうのこうのという話へと繋げていくのは理論的に無理なんじゃないかと思ってしまう。

あるいは、フォロワー数が多いことを他者に自慢するのは、行動としては年収や貯金額を自慢するのに近いものがある。それは自身のステータスの高さを他者に見せつける行動であり、承認されたいという欲求よりは、承認されたことそれ自体を他者に承認させたい(=誇示)という、言わばもうひとつ上の次元の行動だと理解できる。アテンションエコノミーという言葉がまさに示しているように、誇示したい指標が金額からフォロワー数に変わっただけの話であって、人間としての欲求の種類が異なっているとは考えにくい。そういった明かな類似行動との比較なしに、いきなりSNSの利用行動はそれまでの世界には存在しなかったものであるかのように議論を進めようとするのは、仮説ではなく思い込み、研究ではなく妄想、いずれにせよアカデミックな議論とは到底呼べない。

正直なところ、僕には彼ら彼女らがある種の利用可能性ヒューリスティクス (availability heuristics) により、SNSの利用行動を説明するのに自分が知っているなかで一番手軽そうな概念を適当に取り出しているようにしか見えないから気に入らないんだろうと思う。なぜなら、熟慮しない者に研究活動などできるはずもないから。

何も調べずに考えてみると、とりあえず「認知:自己の表現を他者に知ってもらいたい」「拡散:自己の表現あるいは自分自身を広めたい」「誇示:認知されたこと自体を知らしめたい」ぐらいには分解できるんじゃなかろうか。ネーミングは適当だけど、少なくとも「知られていることを知られたい」っていう二重構造にはなっている気がする。まずたくさんの人に知られることでフォロワー数を増やして、さらにフォロワー数が多いことを他者に知らしめることで自分の立場をアピールするというか。そしてもうこの時点で階層的な欲求なんだよな。

この類の心理学は調べてもゴミみてえなブログ記事ばかり出てきて今すぐには詳しく調べられないので,またゼミの間にでも文献を探して読んでみようと思う。ここでは問題提起のみにとどめておくとして、これもゴミみてえなブログ記事の山に置いてゆくこととする。