恵まれコンプレックスとアイデンティティ探索の旅

家庭環境や経済状況といった自身の置かれた環境にせよ、あるいは白人であることのような自身の備えた特徴にせよ、predeterminedな要因というものはいいものわるいもの含め様々あるわけだが、ここでは特に恵まれた方向の要因を考える。これまで、いわゆるアメリカ白人の抱える不可避なwhite privilegeとそれに基づくある種の原罪とも呼べるような構造についての問題というのは数々取り上げられてきたが、それに近い、それも実際には存在すらしていないかもしれないprivilegeは様々なところにある。白人であるだけで無条件の特権的地位にあると見做すことは(かなり極端な分類をするならば)、いろいろな努力をした結果としてモテている人に対して「顔がいいからモテる」と決めつける構造にも通ずるものがある。そこにも(外からは)特権(に見えるが実際にはどうかわからない)構造がある。

僕の場合、この構造に当てはまるのは家庭環境である。ここ数年、自分の恵まれた環境に対して逆コンプレックスに感じることが多々あった。たとえば、音楽のかけがえのない仲間達とのエピソードを大学で話せば、僕はまるでとんでもない荒くれ者しかいないファンタジーの世界からただ一人飛び出してきた田舎者かのような扱いを受ける。友人がいつ何のトラブルに巻き込まれて音信不通になるかわからない環境というのは普通の社会にはあまりないし、前科持ちの人間たちがゴロゴロいるような場所もあまりない。

一方で、大学院のかけがえのない仲間達の中で当たり前だった前提が、実は単なる恵まれた環境によって提供されていたものに過ぎなかったりもする。ダメージとしてはこちらの方が大きい。たとえばパソコンにそれなりに通じていることも、音楽理論を学んでこられたのも、共に両親がそれに通じており、幼い頃から触れる機会があったからに過ぎないともいえる。大学院まで行けばたとえそこが経済学研究科だろうがプログラミングのできる人間もバイオリンが弾ける人間もゴロゴロいる。そういう意味で、結果的に大学院というところは(そして僕のいたあそこは特にだが)外界から隔絶された極めて異様な環境だった。特に僕らは学内のプログラムやらで住むところも生活費も一応もらっていて、なんならバイトはプログラムの関係で禁止されていた。そこでの常識が世間と異なるなんていうのは火を見るより明らかな話であって、それは十分に認識しているつもりだった。だが、実際にはそんな程度の話ではなかったし、実はそれはかなり前から薄々わかっているはずのことだった。

環境というものが及ぼす影響の大きさについて考えていくと、ここで「自分の実力で掴み取ったと信じていた実績すらも所詮はpredeterminedな道である」という絶望に直面することになる。もちろん統計学的に考えれば(つまり家庭環境などの条件を揃えた他者と比較すれば)その努力が結果に与える統計的な有意差は認められるかもしれないが、ここで問題となっているのは、そもそも努力する環境すら与えられなかった条件群との比較である。生まれた時から両親ともにいないとか、高校に行く余裕なんてなかったとか、そういう友人たちと日々を過ごす生活の中で、俺がいくら自分の人生に対する努力を主張したところで根本的に無意味なのだ。その努力すらも環境の中に内包された機会でしかない。たとえばそれらの公平性をなんとか担保することを目的とした公的/私的な制度なんていうのも当然あるにはあるが、そういった情報に触れることすらできない環境に身を置く仲間たちもたくさんいた。

そしてこれは、ここ数年恵まれコンプレックスとして見事に発芽し育ってきた。大体のものは頼めば買ってもらえて、学校の勉強にも特に何の苦労もない。僕のアイデンティティの一つでもあるわけのわからないほどの興味の幅広さは、それに呼応して学ぶ環境が与えられなければ維持されないものだった。そういう環境や持って生まれたものによってここまで来たのだとしたら、そういう存在がヒップホップという世界(それは単なる音楽カテゴリではなく、あるいはよくいわれるカルチャーという程度のものでも実はなく、感覚的にはイデオロギーか宗教に近い)に存在することは許容されるだろうか?海外、特に一人でアメリカにいた頃のめちゃくちゃな生活は、自身のアイデンティティをこの目標とするイデオロギーのあるべき人間像まで随分と近づけてくれた。

だが、そうやってゲトーライフを演じていても結局のところアイデンティティが満たされることはなく、そして最終的に僕の”弱者”的な要素は病となった。心臓に2度も穴が空き、血を吐き、高熱を出しながらモノを考え、研究や音楽など何かしらの形で出力する。これが僕にとってのpredeterminedな弱さとしてアイデンティティに刻み込まれることになった。残念ながらこれは決して望んだ結果ではなかった。ある種のマッチョイズムであるヒップホップと病弱さは根本的に相性が悪く、たとえばニューヨークの道端でフィンガードラムをやっていて、目の前のアメリカ人プレイヤーと比べて明らかに俺の方が演奏がうまくても「オカマみたいな指だな」と罵倒されて終わったりする。現実とはそういうもんだった。

だが付しておくとすれば、あらゆる「弱者」的な要素がヒップホップ的アイデンティティとなるとき、誰一人としてそれを本来的に望んでなどいない。何より、このイデオロギーは弱さ抜きには決して確立されなかったのであって、同様に「アジア人がヒップホップなんてw」と言われて凹むようなら根本的にヒップホップには向いていない。

今までこういった恵まれコンプレックスについては数年来自分の中で溜め込まれていたものの、ちょっとした身の回りの出来事でついに吐き出すことになった。