生涯現役という驕り

この夏休み、僕のことをドバイで遊んでいただけだと思っている人は多いようだが、この1ヶ月で論文の査読が2本通り、今月末には学会発表が1本控えている。半年前までは「この論文を通すまで絶対に死ぬわけにはいかない」と思っていたのに、いざ通ってみたらいつの間にか書きかけの論文が2本ある上に、これらも死ぬ前に絶対に仕上げなければいけないものだったりする。しかも来年の人工知能学会全国大会に出すためのアブストも年内にはとりあえず書き上げなければいけないし、それをさらに発展させて国際会議に出すこともたぶん誰かしらから求められると思う。正直、この先まだ5年ぐらいは研究関係でやりたいことが山ほどある(そして5年後にはまた新しいことをやっているはず)。企業さんとの案件も2つあるし、ゼミ関係の行事の開催に加えて、2024年度はうちの大学で日本マーケティング・サイエンス学会の夏の全国大会を開くからその運営もある。

みんな自分だけは生涯プレイヤー側にいると信じているけど、その自分はずっとプレイヤー側にいるはずであるという謎の過信から逆説的に時間が無限にあると勘違いしてサボってしまうんじゃないかと思う。研究者として生きて5年経ったけど、正直なところ研究者として生涯プレイヤー側であり続けるのは、普通の人が思う以上に相当ハードなことであるということだけは疑いようもない。

それでも、一生プレイヤーであり続けるにあたって一番簡単な方法は、プレイヤーとして努力しまくることによりマネジメント側に移る前に過労死することなんじゃないかと思っていて、今の僕の生存戦略は(やりたいことを片っ端からやっているだけとはいえ)実際的にはこれに近い。世の中では、リカレント教育だの忘れることがなんちゃらだの色々言われているけど、わざわざ文章にしなきゃそんなこともわからないのに一生プレイヤーであり続けようだなんて驕りもいいところだ。

余計なことは極限まで削ぎ落としているけど、とはいえ既に1週間連続で偏頭痛が続いているし、何か碌でもないことになりそうな気はしないでもない。死ぬわけにはいかないという気概だけで生きていきたい。