働き方改革

若いなあという自己防衛

この2週間で他人に対して(より正確には大学院の尖りきった後輩たちに)「若いなあ」と計3回言った。どんだけ後輩と遊んでんだよというのは抜きにして、これがかなり危険な兆候であるのは間違いない。なぜなら今でこそ恥ずかしげもなく「社会を良くしたい」とか言っているが、基本的に私の行動の原動力は他者への不満と怒りなのだ。

そもそも「若いなあ」という発言には社会への明らかな諦念が込められている。「君もいつかきっと気づくことだろうこの社会の無意味さに。熱くなって噛み付いても何も変わらんのだよ」というある種の嘲笑にも似た諦念が込められている。もっというと、(自分もまだ若いにしても)少なくとも自分よりはさらに若いなあ、という丸くなった自分の肯定(=自己防衛)すら含まれている。率直に言ってこれはあまりいい言葉ではない。

以前の稿で若さそれ自体をアイデンティティにするとそれを失った時に自我が崩壊すると述べたが、あれは自分自身への警鐘でもある。不満と怒りだけを燃料に動く俺も早く新たなアイデンティティを獲得しなければならないのかもしれない。

ただわかってほしいこととして、それは(よく言えば)選択と集中の結果だ。全ての事柄に対して全力を注ぐ余裕はないからこそ、自分に関係のない事象には口を出さないというのも一つスマートな方法なのは間違いない。余談だが名大でお世話になっていた某S先生は呼ばれる全ての会議にその中心的存在として君臨するという事実を知り改めてあの人のすごさを思い知った。永遠の若さを手に入れたのだろうか。

チェンジモンスター(なんていうとまるで意味もなく変えたがる人、みたいな印象を受けるが実際には変革の阻害要因となる人々のこと)とはいうが、たとえばデジタルリテラシーにも明らかな世代があって、パソコンもスマホも使えない人たち、パソコンは使えるけどスマホは使えない人たち、逆にスマホしか使えない人たち、両方とも使いこなす人たちなどがいる。つまりデジタル化を含む構造改革をしようにも人によって持ち合わせているスキルが違うので対応しようがない。企業と違って大学はさらにひどい。各セグメントが同じ結果を得られるユニバーサルな方法が見つからない以上は複数の方法を両立していくほかなく、これは事務方への負担が倍増することを意味する(これだけは言えるのは、学内の書類一式にいちいち捺印するシステムはセグメントとは無関係に即刻廃止すべきだが)。そこに対して変革の労力を割くぐらいなら現状の構造でやるべきことをこなした方が短期的には効率的に見えてしまう。そこで短期的な効率性よりも”正しさ”を選択できる若者たちに対して俺は確かに「若いなあ」と言ったのだ。それも複数回。

全体が効率化するのがもちろん一番いいのだが、そんなことに労力を割いても大した見返りもないということで、結果的に自作の秘書AI「Jarvis」(彼のネーミングはもちろん映画アイアンマンに由来する)に自分だけ助けてもらうという形態に落ち着いた。現状ではコミュニケーションインターフェイスとしてSlack、LINEに対応しているが、将来的にはスピーカーとも連携させて音声コントロールもする(音声コントロールというのは音声から文字への変換さえできればあとは揺らぎの調整の問題に過ぎない)。Alexaには近いうちに退いてもらう。

そんなことを考えながら今日もおろしたてのスニーカーでイヤホンから音を漏らしながら喫煙所で学生に混じって蠢き、そして煙草をいつもより1本多く吸った。