ニューノーマルの終焉

自然の摂理に収束していく世界

僕はこれでも人間の行動ログデータを朝から晩まで触っている人間な訳だけれど、感染者数の増減を示すデータを眺めていると、1ヶ月くらい前からなんとなく違和感があった。というのも、あれは社会科学的な(というか人間の行動ログを集約した)データにしてはあまりにも動きが綺麗すぎるなと思っていた。

それはデータをいじっているとかそういうことが言いたいわけではなく、どちらかというとロトカ・ヴォルテラ方程式(Lotka-Volterra Equations)のような、もう少し自然科学的な(というか自然の摂理を集約したような)データに見えるという話で、目には見えない自然の摂理、あるいは確率的な振る舞いの塊に見える。

もっと簡単にいうと、人間の行動ベースのノイズ、そして緊急事態宣言などの各制約の効果のグラフへの現れ方が小さすぎる気がしていた。それこそ他の地域は知らないけど、名古屋は緊急事態宣言が出た日の朝から人出は明らかに減っていた。にもかかわらずあのカーブなのはどういうことなのかずっと疑問だった(だからといって緊急事態宣言や自粛に全く何の効果もなかったと言いたいわけではない)。

これから各所でもう少し社会科学的な観点での効果検証が始まるとは思うけど、それに先立って国立感染症研究所が出した感染者数に占める各変異株の割合のデータは笑ってしまうぐらい残酷だった。疫学の専門家ではない僕がこれ以上書くと陰謀論臭くなってきてだるいので気になる方は直接聞いてください。

とにかくこのコロナによって、歴史は繰り返すのだということがよくわかった。

空気感の変化

僕は夜に散歩するのが本当に好きなのだけれど、街はここしばらく夜20時で既に夜22時ぐらいの雰囲気で、出かけるといったらせいぜいコンビニくらいしかない、そういう世界だった。しかしこの週末は人々が散歩したり出かけたりしている様子で、これまでの緊急事態明けとは少し様相が違う感じがした。まるで街が夜に適応できていないかのような薄暗い世界で、たくさんのシルエットが世界を楽しんでいた。そういえば秋の夜の街ってこんな感じだったな、といろいろなことを思い出した。

とりあえず21時まで喫茶店で仕事をしていたのだけれど、喫茶店も(人数制限はしているとはいえ)満席だった。早く東山公園のガストが午前2時まで営業する世界に戻ってくれ。

海外旅行

海外に遊びに行く準備をし始めた。実行するのはまだかなり先になるかもしれないけど、しかし何事も早く動いたほうがいい。何しろ、旅行は計画している時が一番楽しいのだ。