きれいなひと -障害と自由-

少しずつ元気になってきた。そこでちょっとした実験も兼ねて、入院後のボサボサの髪をマッシュっぽく切って緑にしたら、家で改めて見た時の相馬トランジスタ感がすごい。2年ぶりに髪がボロボロになるまで脱色したのもあり、相当綺麗な発色になった。

もし障碍者がかなり舐め腐った格好で生活するとどういう扱いを受けるのかが急に気になったので実験することにした。

ここしばらくでは3Dプリンターをはじめとした技術の発展もあり、見た目だけでは身体障害には見えないことも増えてきた。脚が悪くても杖を使わずスキニーのボロボロのダメージジーンズを履けたりすることもある。障害を持っていようと自己表現の一環として好きな格好ができるのは本当に素晴らしいことだと思う。僕らは技術革新によって人々の自由が担保されていくその最中にいる。

しかし、実験してみて残念ながら再確認できた。今回は面と向かってこそ言われなかったが、明らかな「障碍者は障碍者らしく社会の片隅で申し訳なさそうなツラをして生きろ」あるいは「お前みたいなモンが優先席なんか使ってんじゃねーよ」という圧力がかけられた。いつも通りの汚い格好で優先席に座っているとゴミを見るような目で見下してくる人は本当に多い。念のために書いていくと、その時点で列車は空いていて、俺が優先席に座っていることによって誰かが立たなければいけないような状況ではない。それだけでは飽き足らずわざわざ近づいてきてノーモーションからいきなりマックスで怒鳴り散らしてくる方までいた。時代が時代だし、山盛りの基礎疾患で優先席に座ってるようなもんなので、あんま近くで大声を出すのはご遠慮願いたいところなのだけれど。こっちはまっすぐ歩くこともできないしヘルプマークまでつけてるんですけどね…

恐ろしいことに割といろいろな場所で観測されるのだけれど、圧倒的な正義の名の下に他者をどやしつけてやりたい(どやしつけたいではなくどやしつけてやりたい)という欲求を持った人はそれなりにいるようだ。しかしながら、目の前の舐め腐った格好の奴にも見えない事情があるかもしれないというところまで考えは巡らないものだろうか。過去には優先席に座っていたヴィジュアル系みたいなファッションの若い子が老人にどやしつけられて席を立ったら片足が義足だった、なんていう話もあった。

そもそも障碍者だからといって何か特別なレベルで清廉潔白に生きろなどと要求される筋合いはないし、そこには一般の人々と同様に性格のいい奴から悪い奴までいる。それは障碍者である以前に人間なのだから当たり前なのだ。誰しもに好きな格好をする自由があり、そしてどんな格好でも社会的な助け合いに参加する自由がある。そういうのはもう少し理解されてもいいし、自由とはそういうものだと思う。

(ちなみに俺はアメリカ留学中にもこういうのを経験しているので、この類の話を日本の生きづらさみたいなものとして消費されたくはないという思いもある)