教養

モラルで二分化されるマナーと教養と

「教養」とは余裕であり、遊び心である。

それはつまり、「教養」というものが狭いコミュニティの中のみで流通する共通言語であることを意味していて、中学生が友達の中でしか通じない造語で盛り上がるのと大きく見れば違いはない。

そしてこれは逆にいうと、「教養」とは持たざる者をコミュニティから疎外するための手段でもある。それを振りかざすことにより、「このコミュニティはこの振る舞い/ルールを守れる者のみが立ち入ることのできる領域であり、その他の人はお断りです」となる。

ただ、今回は「教養」それ自体の機能(コミュニティから不要な他者を疎外する手段としての)を批判するつもりはない。研究者が集う学会だろうと音楽好きが集うクラブイベントだろうと、そこでしか通用しない独自の「教養」というものは疑いようもなく存在している。それを眺めたとき、「教養」は(もちろんあるに越したことはないが)、あるからといってどうというものでもないものなのだということがわかってくる。イントロクイズの如くクラブで曲がかかった瞬間にそれが何の曲なのかを判定し騒ぐことができるのは凄まじい「教養」だが、狭い世界での外界と異なる常識や振る舞いが身についているだけのことであり、外界では役に立たないと思った方がいい。

そんなことよりいま真に気になっているのは、他者の行動を縛るプロトコルは「教養」以外にも存在するということで、少なくとも「教養」が真に「教養」たるためには、それが「モラル」とは切り離された縛りでなければいけないと思う。もしそれが「モラル」と連関した瞬間に、それは「教養」ではなく単なるマナーに成り下がる。(その言葉自体が本来もつ意味はどうでもよく今回は「教養」、マナー、「モラル」という言葉を好き勝手に使っていく。意味はおそらく読み進めていけばわかる。)

たとえば「結婚式に参加するなら男性はスーツと白シャツを着た方がいい」といえばそれは結婚式という世界における振る舞いの縛りであり、知っているに越したことはない(そして同時に知らない者を白い目で嗤い疎外するための)「教養」だが、「結婚式に全裸で参加してはいけない」といえばそれはマナーになる。「乾杯の時にワイングラスをぶつけてはいけない」のは「教養」だが、「お祝いなら乾杯をする」のはそれなりにマナーであるとは思う。

僕が先日の結婚式に黒の花柄のシャツを着て参列したことは疑いようもない。僕がとんでもない無教養野郎であることを示しているのは事実だとしても、それは同時に他者を祝うにあたり人間として最低限のマナーは守れていることも示している。ちゃんと服を着て、時間通りに会場に到着し、ご祝儀も一般的な額で出したのだから。

(言い訳をするなら、いくらあのホテル椿山荘で行われる結婚式だろうと、今どきの結婚式なんだからみんなお洒落に着崩してくるだろうと思っていた。だからこそ割と映える暗めのドレスシャツを調達してきたというのに、蓋を開けたら僕以外の男性は本当に全員真っ白なワイシャツを着ていた。女性は色々とドレスみたいなのを着ているのに僕らは空気的に白シャツ以外を着ていると非常識に思われるというのは時代的にもちょっとどうかと思う。相撲の女人禁制にもこれと近いものがあり、風習・伝統として成り立ってきたものなら男女の振る舞いに差をつけてもいいのかという話になる。)

「モラル」と連関した縛りはマナーでしかないということは、それは裏を返すと「マナーごときが「モラル」以上の範疇の振る舞いに対して口を出してはいけない」ということでもある。近年のマナーの口の出し方は度を超えたものがあるが、それはよくよく聞くとこの投稿でいうところの「教養」に該当するものが少なからずある。

結婚式のマナー(笑)として求められているものの多く、たとえばゲストカードのお祝いのメッセージに句読点をつけてはいけない、あるいは動物柄の服を着ていってはいけないなど、その多くは笑ってしまうレベルの洒落でしかないが、そういう洒落こそ昔いつの間にかどこかでなんとなく始まった、他でもない「教養」のようなものなのだろうと思う(そして当時思いついた人たちの中ではお洒落な発想だったんだろうと思う。今となってはめちゃくちゃダサいが)。つまり、時代の空気に合わせて変わっていけばいいものでしかなく、どこでどういった理由で始まったのかもわからない風習を伝統としてやめられないのは(他の国はわからないが少なくとも日本では)よくあることだ。ご芳名から二重線で「ご芳」を消すのも、別に今の時代そこまで自己否定に走り馬鹿みたいに謙る必要もない気がしてしまう。他者から敬われれば、その気持ちを素直に受け取ってself-confidentlyに相手に感謝を返す方が時代にあっているのではないか。

仮に俺がお祝いのメッセージに句読点を打ったからといって、「俺と妻の関係に終止符を打てということか!」と激怒する人がいるならその人もどうかしている。そんな意味であるはずがない。ちょっと考えたらわかるだろ。お祝いのメッセージに「早く別れてください」と書かれて怒るならわかるが。

それがマナーと「教養」の境界としての「モラル」なのではないかと思う。