読書

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ここ1週間で本を3冊読んだ。東野圭吾『手紙』、村田沙耶香『コンビニ人間』、若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』だ。

『手紙』の次に『コンビニ人間』を読んだのは『手紙』の解説で言及がありその勢いで買ってしまったからだが、手紙が「必死で普通の人生を志すも強盗殺人犯の弟であるという事実に全てを邪魔され、それでも現実に抗い生きていこうとする人」の話である一方で、コンビニ人間は「自分では全く普通は志していないにも関わらず親族や旧友の同調圧力(解説でいうところの普通圧力)から逃れるために様々試行するも、最後は自分の生き方としてのコンビニ人間に再度着地する」形の話。大きく見るとどちらも外部性によって自分の本来やりたい行動が妨げられているという点で同じだが、struggleの方向としては真逆になる。そんな真逆の2作品のどちらにおいても、まるで自身が投影されたかのような描写があって途中で息が詰まるような思いになった。

同調圧力に対してできることなどあまり多くはない。ひとつは「自分と同じ生き方をしている人たちの集まる別世界に移動してそこに同調すること」、次に「一人で生きること」、そして「今の世界で同調圧力に耐えて生活すること」、最後に「同調すること」ぐらい。同調圧力を発してくるような集団(それこそ本書にあるように「普通」側の立場から「説教」をしてくるような人たち)の考えを変えるなんていうのは端から無理なので結果こんなところになる。

コンビニ人間は「正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。」という考え方の正当性を白羽の仕事上の振る舞いからほとんど誰でも共感できる形で描写した上で、主人公の同級生や妹との会話を通じて主人公の人生設計に対しても同じ価値観を適用する。この流れを読んだ時、論理展開としてこんなにひどい暴力を振るわれたのは久しぶりだと感じた。それぐらい有無を言わせない展開のさせ方だったと思う。

僕は今まで割と「自分に近い考え方の人たちの世界に移住したことによって自分の生き方に対して口を出してくるような人のいないところに来た」と思っていた(それこそ小中時代の同窓会なんかに顔を出したら終わると思うし怖くて絶対に行けない)のだが、この考えもコンビニ人間の描写で完全に破壊された。これまで「一つの目標に力を合わせて向かっていく同志」であった(ように見えていた)同僚や店長との職場は、ふとした一言で「いつも130円のからあげ棒が100円のセールになるということより、店員と元店員のゴシップのほうが優先される」世界に突如として(それもおそらく不可逆的に)変化している。もっと言うと実はそれは変化していたわけではなく、元々彼女の目に触れない場所(彼女が一度として誘われることのなかった飲み会など)では平気で展開されていた裏の世界が、その一言をトリガーに本人の前にまで浸出してきたようなもんなんだろうと思う。何が言いたいのかというと、たぶん俺も同じなんだろうなということです。

前稿でもやりたいことのためには普通を犠牲にしなければならないこともあるという考えに至ったけど、それがまた強化される結果になった。

そしてそのまま若林の本を読み始めた。オードリーはANNをずっと聴いている程度にはファンだが、この本はずっと読んでいなかった。たまたま本屋で面置きされていて完全に勢いだけで買った。

よく芸人あたりの書いた小説が売れたときに「芸人としての面白さと小説の作品としての良さは別だ」的なことを言う人がいる。僕も元々はそれらと同じ考えだったのだが、最近はどうもそうではないような気がしてきた。簡単にいうと、お笑いに秀でているのではなく、感性が秀でているからお笑いにも強い、そう考えると他の分野、たとえば著書が面白いことにも納得がいく。お笑いに強いのは単に感性の高さが顕在変数として観測されていたに過ぎない(場合もある)ということだ。ハライチの岩井なんかもこれに当てはまると思う。

僕をこの考え方に導いたのは、ついに手に取った若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』だった。この本はもともとどうしても読む気になれなかった一冊で、それは(今思えば、だけど)ひとえに普通の人がなかなか行かないような国にふらっと行った旅行記を綴っているだけだとしたら、ほとんど同じことを俺もこれまでの海外経験のなかで味わってきたはずだというある種の競争意識だったんだろうと思う。簡単にいえば、それらを経験したことのない人たち向けの本だと思っていた。

結果からいうと、読んだのは完全に正解だった。旅行の描写は初めてモンゴルやキルギスに行った日の夜を思い出させたというだけではなく、帰国から何年も経つ今までの中で一番鮮明にあの日々のことを掘り起こしてきた。社会の捉え方も(この辺はどれだけ書いても陳腐な評論じみた言葉にしかならないから多くは書かないけど)すごくよかったし、最後の締め方のエモーショナルさには素直に心が動かされた思いだった。賞を取っただけのことはある。

本を読んでいて自然に声が出たのはたぶん2年ぶりで、前回は涼しくなってきた秋の仕事帰り、スカイツリーのふもと墨田区の道端で小説を読んでいたときだと思う。本はこれからも読み続けたい。