幸せにさせてもらえない人たちの話

幸せにさせてもらえない人たちの話

昔誰かがtwitterで「フェイクニュースに引っ掛かるのは事実よりイデオロギーを優先させる人」だと言っていて面白い指摘だなと思っていたんだけど、これは冷静に考えると引っかかる側(=受容側)に限った話ではない。

俺はあんま政治の話はしたくないしゼミなんかでも特定思想に突っ込んだ話はなるべくしないようにしてる(やる場合にはディベート形式でメリットとデメリット両方出させて検討させて結論は出さない)けど、とはいえ最近でもたとえば「単一民族」とかもそうなんだけど、自分の中にある信じたい理想像みたいなものに引っ張られて現実を歪曲させるようなことが平然と行われている。

つまり、結論ありきで情報を収集したり発信したりしているわけだ。自分の感情を元にそれにあった情報だけ集めている人たちというのは、放射線とかワクチンとか癌治療とかでもよく観測できる。

こういうのを見ていると、ディベートってやっぱ大事なんだなと思ってしまう。イデオロギーベースの思考というのは外から見ると感情的に動作しているように見える。つまり反対意見を吟味せずシャットアウトする傾向が見える。しかしディベートだったらこれは成立しない。

そういう信じたいイデオロギーみたいなものに反した状況が実現しそうになると、(そのトピック自体は自分に関係ない話なのにも関わらず)突然狂ったように怒り出す人というのが時々いる。これは本当にすごいことだと思う。

その最たるものが同性婚と夫婦別姓だと思う。世の中の全ての夫婦を別姓にすべきと言っているわけではなく、別姓にしたい人だけ別姓にすればいいと言っているにも関わらず何をそんなに怒り狂う必要があるんだろう。ちなみに俺は夫婦別姓には賛成している人です。これは俺も結婚するなら普通に別姓にしたいからです。

こういう話っていうのは、大多数の皆さんの人生には何の変化も起きず、そして一部の人たちに新しい幸せが訪れるだけの話なんだけどね。

最近ディスカバリーチャンネルをよく観ているんだけど、その中のリフォーム系ドキュメンタリー『Nate & Jeremiah By Design(邦題:お手上げリフォームSOS)』でNateとJeremiahが「同性婚」かつ「別姓」かつ「子供持ち」で普通に幸せに暮らしている様子が映し出されて「は???最高じゃん」ってなったんすよ。こんなん他人に否定する権利なくない????

多様性という観点でたとえば反ワクチンを「自分に関係ないんだから認めろ」みたいな論調もあるんだけど、これは子どもの生育に重大な問題を起こしうる話なので、そういったところの選択の自由を多様性に紐づけて語るのはやめてほしい。自分の子どもだろうと人権を持った他者なので、自由意志で他人の人生を貶めるとしたらそれは普通に犯罪になる。

認めたところで自分には関係なくて、しかも誰かが幸せになるだけの案件がもっと簡単に認められるようになっていけばいいのにね。

印鑑もそう。印鑑をなくすんじゃなく使いたい奴は使って、使いたくない奴はサインでOKにしろっつってんのに全然変わんねーの。俺はサインOKになるだけでめっっっっっちゃ幸せになるんですけどね。俺が幸せになるかどうかなんて関係ないんだろうね。