哲学

身体に人生の方向転換を迫られる日々

進化心理学がおもしろい。俺はここ数年ぐらい個は全体最適のために犠牲にされるもの(されるべきとかではなく”自然”とされているもの)だと思っていたし、だからこそこの半年ぐらい「他人のためにお金と時間を使う」というルールでやってきたのだが、その実この社会(いやこの世界)は元来個別最適なのだった。つまり俺がここしばらく完全に混同していたところとしての「人類が多様性戦略を取っていること」と「個の生物の継続戦略」は全く無関係なのだ。
俺はてっきり種としての競争(人類という単位での継続)が成り立てばいいのかと思っていたのだが、冷静に考えれば遺伝子という面で人間Aと人間Bあるいは人間Aと犬Aは同じように異なるDNAに過ぎないのであって、差異の程度は重要ではない。俺だって突然変異でこんなことになっているのであって、ここで我々が晒されているのは実際完全に”個”の単位での競争なのであった。

これはとてつもなく大変なことで、俺の最近のイメージ戦略たる「社会に捧げる自己」に基づく自尊心(最近のわたしは数年前と比べたらびっくりするほど怒らないし他者に異様に優しい)がここで崩壊する。この分野の言明は数年に一回俺の生きている意味を丸ごと否定してくるのでその度に新しい人生を始める必要が出てくる。

実は進化心理学の本を読み始めたのは単なる興味からではない。今年に入って色々と生活が変わり、その結果として欲求の段階がひとつ上がってしまったのだ(数年前ならこれを正直に告白することすらできなかっただろう)。人間の欲求を理解しようとするとここ数年なら必然的にここにたどり着くことになる。
俺は本当はもっと自分にリソースを振っていろんなことを勉強して趣味に没頭してゴミみたいな人生を送ることで最高の自尊心を保っていたいのに、身体がそれとは違う方角を志向している。俺はいまや酒や煙草を(誰に言われたわけでもなく他でもないこの身体に)やめ(させられ)、もっと言うとコイツは俺に対して、彼女や奥さんを手に入れ子供を作りその人たちを守る方向にリソースを振れ(つまり自身の生存よりもっと大きな単位での継続を優先しろ)と言い出している。明らかにそういうシグナルが出ている。これは由々しき問題だ。こんなことなら死にたい。自分をコントロールしようとするものには全て反抗したい。っていうか腹が痛い。

…俺にとって問題なのは生存を引き延ばそうとするための行動が継続につながりうることから、生存を諦める方向に向かっているかのようにこの身体が勘違いするということだ。珈琲を減らすのは継続のためではなく、長期的な生存のために短期的な生存を犠牲にしているに過ぎない。

最近聴いている曲
JASMINE feat. 5lack『Fallin’』
JASMINEの新譜。5lackのラップと相まったこの90’sフレーバーには最高と言わざるを得ない。